感覚と精神が身体を支配している

2019/05/22 ブログ
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サッカーの試合では試合終了時同点の場合、PK戦で勝敗を決めることがあります。勝敗を左右する緊迫した状況の中で、選手に対するプレッシャーは相当のものだろうと、見ている方が緊張するものです。

今までテレビも含めていろいろなPK戦を見たことがありますが、個人的に印象に残っているPK戦があったので紹介します。

みなもと整体院のブログなので、最終的には身体のことに繋がっていきます(笑)

 

 

 

2017年に行われた第96回全国高校サッカー選手権大会千葉県大会の準決勝、流通経済大学柏高校vs日体大柏高校との試合です。

当時両チームにリハビリを担当したことのある選手がいたこと、日体大柏高校は柏レイソルアカデミーとも提携しているため、知っているコーチもいたこともあって興味のある試合でした。場所も柏の葉陸上競技場で行われ、両チームともに地元ということもあり(地元でなくても応援はすごいものがありますが)、観客もメインスタンドには席が空いていないほど埋まっていました。

 

試合は延長も含めて0対0で終了しPK戦に突入します。両チームともに点は入らなかったのですが、見どころのある試合展開で、見ていて時間の過ぎるのが早く感じたほどです。

 

PK戦は緊張します。どちらかと言えば日体大柏高校を応援していたのですが、流通経済大学柏高校のPKを見てその思いはすぐに消えました。

高校生でありながら、メンタル面で感心させられました。選手権出場を目指す日体大柏高校と、全国でも強豪の流通経済大学柏高校との差がそこにありました。

 

 

日体大柏高校の選手は、言わば頑張ってPKを蹴ります。プレッシャーに負けないように気合も入れていたでしょう。

流通経済大学柏高校の選手のPK1人目、ボールをセットした選手が助走距離をとって立っています。審判の笛が鳴ってから…。

 

 

選手が立ったまま動かないのです。時間にして10秒ほどあったかもしれません。審判の笛が鳴って会場は静まりますが、その10秒の間にさらに静寂が会場を包みます。ようやく助走を始めた選手はコース隅へ鋭いボールを蹴りゴールを決めました。キーパーがコースを読んでいても届かないコースに、ボールスピードもかなりなシュートでした。

 

 

その後の流通経済大学柏高校の選手は全てシュート前に仁王立ちしてから動作に移るのです。助走の距離やシュートコースは様々ですが、みんながシュート前に10秒ほど立ったままなのです。

 

PK戦に遅延行為のイエローカードってあったっけ?と思わせるほど動かない。数千人が注目する中でずっと動かない精神力…。

高校生でありながらどれほどのプレッシャーに打ち勝てるのか、PKを決める以前にそこで勝負が決まっているようでした。

 

 

 

試合後、流通経済大学柏高校の選手(試合に出ていた選手ではありませんが)に聞いたことがあります。「あれって監督から言われて立ち止まっているの?」

答えは、PK戦にチームとして決まりはなく、選手それぞれが自分でやっているのだそうです。毎日必ずPKの練習をしているそうで、練習の時からプレッシャーをかけて真剣に取り組んでいると聞いて、強豪校とはこういうところで差があるのかと感じたことを覚えています。

 

 

 

 

なぜ2年以上も経ってこのような話を思いだしたのかと言えば、「意識下での訓練と無意識下での訓練」との葛藤を日々感じているからです。

身体に何かの機能的問題が起こり、それを取り戻す作業の中で(リハビリでもトレーニングでも)、私は一つの動作にかなりの意識を要求します。一つの関節を動かすために、どれほどの機能を使わなくてはならないのかを選手自身に自覚いてもらいます。

 

しかし、そのことは実際のスポーツ動作とかけ離れていることも知っています。競技中は意識などしていないのです。

 

 

その組み立てを支配しているのは、感覚と精神だと思っています。そこまで要求したときに出てくる答え(現象)がさまざまだから、難しくもあり、面白いと思っています。

 

このことだけでブログを書くとしたら、何文字になるでしょうか(笑)。また機会をつくりながら更新していきたいと思っています。

 

 

 

 

あるサッカー選手に聞いたことがあります。

「PK蹴るときって何考えてるの?」

 

 

蹴るコースを決めて、そこに思いきり蹴りこむタイプ。

ギリギリまでキーパーを見て逆をつくタイプ。

そのために駆け引きがあるのだと思っていました。

 

 

 

その選手の答えは、「ずっとキーパーを見てます」でした。

後者なのかと思いました。

 

「いつまでキーパーを見てるの?軸足踏み出したとき?ボールが当たる瞬間まで?」

 

 

 

「自分が蹴るまでどっちにボールが行くかわかりません。でも枠を外したことはありません。」

 

蹴った本人がボールの行方がわからないという答えは想像を超えていました。それでいて枠を外さない。

 

 

究極の無意識の領域。もしかしたら、私が求める答えがそこにあるのかもしれません。